新東通信50周年記念事業

創業者 谷 喜久郎『地方を元気にする男』書評

「何かおもろいことないか」を合言葉に、名古屋から全国、そして世界に向けて様々な企画を打ち出している総合広告会社、新東通信。創業者で代表取締役を務める筆者は「地方を元気にする男~広告業界の地方創生の旗手」(谷 喜久郎 著、幻冬舎)のタイトル通り、まさに「地方を元気にする」旗手として、81歳となった今も広告業界の第一線を走り続けています。

筆者は1941年、兵庫県川西市で生を受けました。子供のころから「悪ガキ」として先生や両親に怒られるようなこと―――学校の用務員や若い女性教師をからかったり、お供えの酒を拝借して一杯やってみたり、学校の屋上で大量の干し柿を作ったり―――を数々繰り広げながら、しかし多くの人に愛される魅力をもった人物であったといいます。

一貫して筆者のマインドにあるのは、本書や前作「何かおもろいことないか」に記される「面白いことはないか」という強烈な情熱です。それは、本書序盤に書かれた内容からもうかがい知れます。

「おもしろいことには次々とアイデアがわいてくる。自分の好きなことしかしないというスタイルは今も変えることができない」(第1章 悪ガキと言わずしてなんという?「自他共に求める悪ガキに成長―――人生、なにもかもはできない」より)

「次々とアイデアがわいてくる」のは「自分の好きなこと」だから―――「何かおもろいことないか」と探し続ける理由は、まさにこの一文に集約されていると言えるでしょう。この筆者のマインドこそ、学生時代に様々なスポーツに挑戦したり、イベントを企画したり、果ては落語家に入門したりと、とにかく様々なことに挑戦し続けるエネルギーの原動力であるというわけです。

もう一つ、筆者の哲学の根底にあるのが「王道を歩む」という、新東通信設立に際して掲げられた志です。筆者は新東通信設立時のメンバーに「広告業界の王道を歩む」と宣言し、立ち上げメンバー6名でありながら次のような企業理念を策定します。

「『コミュニケーションとは、相手を大切に思う気持ちを表現することです。広告というコミュニケーション活動を通して、社会的、国際的に自己実現を図るおもしろ集団、それが新東通信です。』

 大企業のような理念を打ち出したのは、サラリーマン時代の特に後半において、会社が理想や理念を持っていなければ、社員は目標を失い、バラバラになっていくことを身をもって経験したことによる。」(第2章 発想のマーチャンダイジング 「世界本の日」が誕生「新東通信を起こす。企業理念をつくる」より)
「何かおもろいことないか」から始まる熱い思い、それに共感して集まる仲間を、理念を持ってまとめ上げていった筆者は新東通信での活動を積極的に展開し、日本初のフリスビー普及や名古屋シティマラソンの開催、スペインの祝祭で本と花を贈り合う「サン・ジョルディの日」の輸入をきっかけにしたユネスコの「世界本の日」制定や、それに伴って生まれるスペインとの関わりを生み出していくことになります。

これらの哲学に加えて特筆すべきは、筆者がつなぐ様々な「縁」でしょう。広告業界を志したのは国語の先生の一言、新東通信拡大の第一歩とも言うべきボートレースにおける広告業では、日本のモーターボート競走成立の立役者とも言われる笹川良一氏と息子の洋平氏との出会い、そして岸田文雄総理大臣や上皇后美智子妃殿下など、大小さまざまな縁が筆者、そして新東通信を支えます。

本書において、筆者は「広告業界の東京集中」に対しても警鐘を鳴らします。こうした問題意識から、2011年に日本初の広告事業社によるコンソーシアム(共同事業体)であるメイシス株式会社を設立。以下のようにこれからの意気込みを語っています。

「新東通信は地方と共存共栄して、地方を元気にすることを目指してきた。わが社の存在理由はそこにある。私はこれは堂々たる生き方だと思っている。

今後は、東京にいて東京で勝負するのではなく、大手広告代理店にはないローカルの個性と独立性を活かした全国的なネットワークを活性化し、規模においても中身においても本当に顧客の役に立つ仕事をしていきたいと思っている。これが、私のこの業界における究極の役割だと考えている。」(第4章 新東通信とは何者か?「地方の広告会社が運命共同体として仕事をする メイシスでの役割」より)

まさに「地方を元気にする男」の極致。大病、逮捕など、様々な困難に直面してきた筆者だからこそ語れる経営者としてのメソッドやこれまでの取り組みを、筆者の波乱万丈な経験を熱く、時にはユーモラスに語る本書は、広告業界に関わるアドマンだけではなくすべての仕事に向き合う人々を勇気づける1冊となっているのではないでしょうか。